対応をミスった鎌倉幕府。モンゴル・高麗による日本侵攻「元寇」は神風がなくても防げた?:2ページ目
2ページ目: 1 2
フビライを怒らせたのは鎌倉幕府
それではなぜモンゴルは日本を二度も襲ったのでしょうか。それはひとえに、日本側(鎌倉幕府)の対応が不適切だったからです。
モンゴルと戦うこととなる執権は北条時宗(ほうじょう・ときむね)ですが、なぜか当時の鎌倉幕府は、モンゴルから送られてきた国書のニュアンスをを読み取れなかったのです。
時代が時代なので外国語に不慣れなのは仕方ないかも知れません。それでも、使者だって何人も来ているのですから、きちんと話を聞けば普通に対応できたはずです。
しかし北条氏はモンゴルの使者を無視し、「来るなら来い」という態度でした。その対応ぶりに皇帝フビライは激怒し、日本を二度も襲ったのです。
ここで、もしも幕府側の対応ミスがなければ、その後の日本史は大きく変わっていたかも知れません。
もちろん元寇は起きなかったでしょうし、モンゴルと友好関係を結んで貿易が盛んになれば、室町時代に先駆けて貨幣経済が進んでいった可能性があります。そうなると武士は貨幣経済についていけなくなり、鎌倉幕府の崩壊が急激なスピードで進む……そんなシナリオを思い描くことも可能です。
まあ歴史にイフはないと言いますし、そんな想像をしたらきりがないのですが。
ページ: 1 2