【鎌倉殿の13人】源頼朝と大庭景親が再度の激闘…「六本松古戦場」を訪ねてみた:2ページ目
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あるいはまったく関係ない時期に行われた戦闘が、歳月を経て言い伝えられる内に「頼朝公の鎌倉入りに際して、大庭景親が抵抗した」という内容に変わっていったのでしょうか。
それとも頼朝公が鎌倉入りした後で、京都から下って来た平氏の軍勢を迎え撃つべく西へ進む際、それを大庭景親が阻もうとして戦闘が繰り広げられたのかも知れません。
この頃になると頼朝公の軍勢数万に対して、大庭景親の軍勢はわずかに一千騎ほど。すっかり形勢逆転されてしまった大庭勢は、泡を喰って逃げ出した(※)ようです。
(※)史料では、その場所をこの六本松ではなく足柄山としていますが、もっと手前で食い止めようとしていた(が蹴散らされ、再度の阻止は叶わなかった)可能性も考えられます。
もしそうだとすれば、六本松の合戦は鎌倉入りの前ではなく後であり、富士川の合戦に臨む頼朝公の進軍を(六本松と足柄山の)二度にわたって食い止めようとしたのではないでしょうか。
終わりに
六本松古戦場について、大庭景親は
【伝承】頼朝公の鎌倉入りを食い止めるべく戦った
【考察】鎌倉から富士川の合戦へ出撃する頼朝公を食い止めるべく戦った
可能性が考えられます。
その後、治承4年(1180年)10月23日に頼朝公へ降伏し、10月26日に頼朝公に味方していた兄・懐島景義(ふところじま かげよし)の手で処刑、固瀬河(現:藤沢市)のほとりで梟首とされました。
令和4年(2022年)放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では國村隼さんが演じる予定の大庭景親、六本松の合戦でも魅せ場があると嬉しいですね!
※参考文献:
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』中央公論新社、2004年11月
上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』吉川弘文館、2007年2月
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