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まさか八百長?平安時代、源頼政が退治した怪物・鵺(ぬえ)の正体とは

まさか八百長?平安時代、源頼政が退治した怪物・鵺(ぬえ)の正体とは

矢が当たったことを周囲に示して味方の士気を高め、敵の士気をくじく頼政の矢叫び(やたけび)が上げられ、続いて脇差を抜き放った猪早太が、屋根より転げ落ちてきた鵺にトドメを刺します。

「おぉ、これは……!」

仕留められた鵺の姿を見て、一同は驚愕。鵺が死んでその術が解けたのか、辺りに立ち込めていた黒煙はすっかり消えて、清らかな雲間からホトトギスの声が響きました。

「見事みごと……」

近くにいた左大臣の藤原頼長(ふじわらの よりなが)が、頼政に和歌を贈ります。

郭公(ホトトギス) 名をも雲居に あぐるかな

【意訳】雲間に啼くホトトギスの声は、そなたが名を上げたことを讃えておるぞ。

これに対して頼政は、即興で下の句を添えました。

弓はり月の ゐるにまかせて

【意訳】いえ、私はただ弓を張ったように丸い月を目当てに射ただけですから、大したことではありません。

「ゐる」という言葉を、矢を「射る」のと月が西へ「入る」のとかけた機転に喜んだ近衛天皇は、頼政に獅子王という太刀を褒美に与えます。

弓の腕前だけでなく、当意即妙の歌才まで備えている……そんな文武両道の頼政は大いに名を上げ、その後出世して源三位(げんざんみ)と呼ばれるまでに昇進したのでした。

めでたし、めでたし。

頼政に手柄を立てさせたくて……?

……なのですが、この鵺退治が実は八百長だった?可能性を伝える逸話が残っています。

伝承によると頼政の母である藤原友実女(ふじわらの ともざねのむすめ)が、どうにか息子を立身出世させたいと懸命に祈願していたところ、神の思し召しなのか鵺の姿に変えられてしまいました。

おとぎ話であれば、多分「欲を出したから、醜い怪物にされてしまったのだ」とオチがつきそうなものですが、母はこれを「悪さをして息子に倒させ、手柄を立てさせてやれ」と前向き?に解釈。

怪物相応の能力も使えるようなので、善は急げ?とさっそく清涼殿へ飛んでいって悪さを働いたのです。

畏れ多くも近衛天皇に怨みなんてないけれど、これも息子が立身出世を果たすため……かくして頼政に倒された母ですが、実は死んでおらず(※)、故郷の伊予国浮穴郡(現:愛媛県久万高原町)に帰りました。

(※)遺骸は舟に乗せて海へ流されたそうですが、その流れ着いたという先々(バラバラに流した?)で鵺伝承が残っています。

そして赤蔵ヶ池(あかぞがいけ)に棲む大蛇「池大明神(いけのだいみょうじん)」として末永く祀られたということです。大蛇ということは、きっと鵺は尻尾の蛇部分が「本体」だったのかも知れませんね。

逆にこの赤蔵ヶ池は元々妖怪が棲んでおり、それを頼政が退治したという伝承もあるそうで、そのエピソードが頼政の母=鵺伝承に変化した可能性も考えられます。

いくら息子のためとは言え、自分自身が化け物になって倒されてやるという考えはちょっと理解しがたいものですが、史実性はともかく親心の篤さを感じられるエピソードですね。

※参考文献:
西川照子『京都異界紀行』講談社現代新書、2019年9月
村上健司『京都妖怪紀行—地図でめぐる不思議・伝説地案内』角川書店、2007年8月

 

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