7基の台場は今どこに?幕末、江戸防衛のために建設された海上要塞「品川台場」の過去と今:2ページ目
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7基の台場はどこへ?品川台場の今
江戸時代が終わり明治に入ると品川台場は一時は陸軍の所管となるが、その後東京市や民間に払い下げられ今に至る。
第三台場・第六台場は史跡として整備され、第三台場が台場公園として開放された。園内には弾薬庫や砲台、船着場の跡があり現役だった頃の面影が所々に残されている。第六台場は立ち入り禁止となっているが、レインボーブリッジ近くに現存している。
第二・第七台場は撤去され、今は東京湾の海中で眠っている。第一・第五台場は品川埠頭と合体する形で埋め立てられ、第四台場も同じように埋め立てられ天王洲地区の一部となった。
第四台場の石垣はシーフォートスクエア(品川区東品川。現在は第一ホテル東京シーフォート、天王洲銀河劇場などを含むエリア)の護岸として再利用されており、天王洲大橋からその姿を見下ろすことができる。ちなみに、シーフォートは直訳すると「海の要塞」を意味する。
唯一陸続きとなっていた御殿山下台場も埋められ、今は台場小学校が建つが台場の多角形が地形として残っており、その姿を地図で確認することができる。
要塞としての役目は終えたものの、姿を消した台場は東京の一部として今も息づいているような気になる。
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