時は江戸幕末、日本全国どの藩よりも朝廷をたっとび、その意思である外国勢力を打ち払わんとする尊皇攘夷の志に篤かったにもかかわらず、その過激さゆえ政争に敗れて排斥され、図らずも「朝敵」となってしまった長州藩(毛利家)。
ひとたび朝敵となった以上、日本中が敵に回る……というわけで元治2年(1865年)6月、徳川幕府の指令により討伐軍が四方から長州へ攻め込んで来ました。
これが後世に言う「第二次長州征伐(第一次は外交努力によって戦闘を回避)」、長州では「四境戦争」と呼ぶそうですが、完全包囲されてしまった緊迫感が伝わって来ますね。
もはやどこにも逃げられない……絶望のどん底に沈む毛利家だけに長州の未来を任せておけない、と立ち上がったのが幕末の梟雄・高杉晋作(たかすぎ しんさく)ら率いる奇兵隊(きへいたい)など諸隊。要するに義勇軍です。
どうせ死ぬなら恥も外聞もなくやっちまえ!むしろ守るものがないって気楽でいいなぁ!……などと思ったかはさておき、大いに暴れ回って四方から攻め寄せた討伐軍を奇跡的に撃退。
「よっしゃあ!何だ、幕府なんて張り子の虎じゃないか。このまま反撃に転じようぜ!」
……やがて長州は朝敵の汚名を返上し、薩摩藩・土佐藩などと並ぶ新政府軍の主力として戊辰戦争(慶応4・1868年1月~明治2・1869年5月)で旧幕府軍を撃破。明治維新を成し遂げたのでした。
「やった!ついに幕府を倒したぞ!」
御一新(ごいっしん。世の中を一新すること。世直し)にあれだけの武勲を立てたのだから、さぞや報いてもらえるに違いない……元は農民や無宿者、郷士といった下層階級出身の志士たちは、新たな世に希望を抱いていたのですが……。