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平和ボケに喝!武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【上】

平和ボケに喝!武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【上】:2ページ目

多くを学び、多くを伝える

さて、人に教える以上は自分も学ばねばならぬ……ということで山田松斎(やまだ しょうさい。茂兵衛)に真貫(しんぬき)流剣術を学び、忠孝真貫流(後に講武実用流と改称)という流派を興すまでになりました。

他にも色々学んでいますが、本当に色々なので、読みやすいよう箇条書きにしてみます。

軍学:斎藤三太夫(さいとう さんだゆう)/長沼(ながぬま)流兵法
槍術:松下清九郎(まつした せいくろう)/大島(おおしま)流槍術
居合:渋川伴五郎(しぶかわ ばんごろう。時英)/渋川(しぶかわ)流居合術
柔術:上に同じ
砲術:井上貫流左衛門(いのうえ かんりゅうざゑもん)

……更には水練(水泳)、馬術、弓術、棒術などまさに「武芸百般」を志し、加えて儒学や農政学・土木学に至るまで修得したと言いますから、口先だけではない努力の人であったことがうかがわれます。

「そこまでしなくてもよいのでは?」

「べらぼうめ……武士たるもの、いつなんどき主君のお召しがあろうとご奉公かなうよう、つね日ごろから文武に精進せねばならぬ!」

そんな「お召し」など、もう百年以上もかかっちゃいない……武士が100人いれば97~98人がそう失笑したでしょうが、いつの時代も平和に馴染めない偏屈者が100人に2~3人はいるもので、少なからぬ者が平子龍先生に弟子入りしました。

そこには別格筆頭の下斗米秀之進(しもとまい ひでのしん。後に相馬大作)はじめ、後に呑敵(どんてき)流柔術を興す吉里藤右衛門(よしさと とうゑもん。信武)、妻木弁之進(つまき べんのしん)、小田武右衛門(おだ ぶゑもん)、松村伊三郎(まつむら いさぶろう)らが並び、吉里・妻木・小田・松村は「平山四天王」などと呼ばれたそうです。

かの勝海舟(かつ かいしゅう)の父・勝小吉(こきち)も学んだことがあったそうで、その時のことなどが小吉の著書『平子龍先生遺事(へいしりゅうせんせいいじ)』にまとめられています。

【下に続く】

※参考文献:
勝小吉『夢酔独言 他』平凡社ライブラリー、2000年3月
綿谷雪『新・日本剣豪100選』秋田書店、1990年4月
小佐野淳『概説 武芸者』新紀元社、2006年2月

 

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