戦国時代きっての傾奇者?武将・前田利家の過激で豪快すぎる死に様:2ページ目
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傾奇者らしい?過激な最期(諸説あり)
しかし、そんな利家も病魔には勝てず、いよいよ危篤になると全身を激痛が襲います。
「あなた!しっかりなされませ!」
「ぐぬぅ……っ、何のこれしき……痛いものか!痛くない!痛くないぞ!」
とまぁしばらくそんな感じでやせ我慢していた利家でしたが、いよいよ限界が来たようで、最後の力を振り絞ります。
「えぇい、どうせ死ぬならさっさとすればよいものを……まどろっこしい!」
利家はいっそ楽になろうと周囲が止めるのも聞かず、一思いに切腹してしまったのです。そのまま放置していては更に苦痛でしょうから、きっと介錯も頼んだことでしょう。
数々の首級を上げた「槍の又左衛門」の最期は、自分の首級を上げさせるという壮絶なものでした。
このエピソードは『越登賀三州志』などによるものですが、利家の死を境に前田家を離れ、徳川家康に仕えた徳山則秀(とくのやま のりひで)が利家の最期を話すと、家康は天晴れなる心意気と褒め称えたそうです。
若い頃から傾奇者(かぶきもの)として知られ、過激な生き方を好んだ利家は、その最期まで過激だったのでした。
※参考文献:
岩沢愿彦『前田利家』吉川弘文館、1988年9月
富田景周『越登賀三州志』石川県図書館協会、1973年1月
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