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戦国時代、67歳の武将・細川幽斎が遺した芸術作品とも言うべき「田辺城の戦い」【後編】

戦国時代、67歳の武将・細川幽斎が遺した芸術作品とも言うべき「田辺城の戦い」【後編】:2ページ目

細川幽斎の最高傑作

戦術、戦略、政略、そして教養。

すべてを高いレベルで兼ね備えていた幽斎だからこそ、圧倒的に不利な戦いを生き延びるどころか、個人的な名声を高め、戦功をも立てることができました。

関ヶ原の戦い後、細川家は3倍近い加増を受けて丹後から豊前(福岡県東部)に移封しますが、幽斎は京都に残って悠々自適の日々を送ります。

そして10年後の1610年、その激動の生涯を終えたのです。

細川幽斎は戦国時代随一の教養人・文化人として知られていますが、田辺城の戦いこそが彼がその人生のすべて、全人格を投じて作り上げた、最後にして最高の芸術作品だったと言えるのではないでしょうか。

 

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