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百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【上】

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民百姓、そして神様にも愛された久兵衛

明朗快活な性格だった久兵衛は周囲から愛されたようで、主君の寵愛を嵩に着るようなこともなく、まめに領内を見回っては百姓たちと一緒に弁当を広げ、彼らの悩み事や相談を熱心に聞いては施策に反映するべく進言したため、人望に篤かったと言います。

また、褒美として袴を賜り、さっそく家紋の「右三つ巴(みぎみつどもえ)」を入れようと紺屋に染めさせたところ、型紙の下絵をそのまま書いて渡しでもしたのか、向きが真逆の「左三つ巴」紋になってしまいました。

現代と違って生地も貴重で「また新しい袴を用意すればいいじゃん」とは行かない時代ですから大問題です。狭量な武士であれば紺屋を斬り捨ててしまったでしょうが、久兵衛は笑って許します。

「ちょうど八幡さま(日牟禮八幡宮。現:滋賀県近江八幡市)の御神紋が左三つ巴……これはきっと、八幡さまがわしにご加護を下さったに違いない。紺屋よ、大儀であった!」

「は、はぁ……!」

事実、この左三つ巴の紋を染め抜いた旗頭は数々の武勲をもたらし、人々は久兵衛の度量を賞賛することとなったのでした。

※他にも久兵衛は近江源氏の先祖伝来と自称する釘抜(くぎぬき)紋も使用しており、これは「くきぬき」が「九城抜き=九つの城を抜く=攻略する」に通じる縁起のよい家紋で、後に城攻めでも武功を上げています。

そんなある日、久兵衛が茶屋の店先で枡(ます)を枕に昼寝をしていたところ、通りがかった盲人に見とがめられました。

「いけませんな……米を量る枡を枕にするなど、そのように米を粗末に扱うようでは、せいぜい一千石ばかりの領主で終わってしまいますぞ」

どうして盲人に久兵衛の姿が見えるのか、と思いますが、当時の概念では弱視や色盲など、視力に問題があるものは一くくりに盲人と呼ばれたようです。

それはともかく、盲人に諫められた久兵衛は素直に反省し、「よく気づかせてくれた」と感謝して酒と海老(おそらく川蝦)を一升づつ贈りました。

「もしも将来わしが栄達できたなら、間違いなくそなたのお陰であろう。必ず謝礼を致すゆえ、それまで達者で暮らすのじゃぞ」

「ははは、楽しみにしておりますぞ」

こうして別れた二人が再会を果たすのは、30年以上の歳月を経た後になります。

【続く】

※参考文献:
市立長浜城歴史博物館ら『秀吉を支えた武将 田中吉政―近畿・東海と九州をつなぐ戦国史』市立長浜城歴史博物館、2005年10月
宇野秀史ら『田中吉政 天下人を支えた田中一族』梓書院、2018年1月

 

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