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美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ

美少年に惚れやすく…男色が災いし自家を滅亡まで追い込んだ戦国大名「蘆名盛隆」の恋バナ

男好きの果てには

先の一件から盛隆は男色を控えるかと思いきや、懲りずに美少年たちにちょっかいを出し、それに嫉妬する人物まで現れました。その人物は大庭三左衛門(おおば-さんざえもん)で元は二階堂氏の者でしたが、盛隆たっての希望で盛隆の家来となりました。

最初は盛隆から寵愛されていましたが、時が経つにつれ疎まれていきます。そして、盛隆は三左衛門のことを「冷めて(醒めて)は食えぬ」の意味を込めて「鴨汁」と裏で呼んでいました。

巡り巡ってこのことを知った三左衛門はひどく落ち込み、盛隆を恨ましく思い始めます。さらに盛隆は面白がって三左衛門に「御前に出る朝ご飯は鴨汁なので、よかったら食べていきますか?」と小姓に伝言させる悪質な嫌がらせをします。

この出来事を境に三左衛門は今まで我慢していたものがプツンと切れました。

そして天正12年(1584)、盛隆は三左衛門に暗殺され、24歳の短い人生を終えました

その後の蘆名氏は盛隆の死によって衰退していき、天正17年(1587)の摺上原の戦いで伊達政宗に敗北したことがきっかけで滅亡を迎えています

最後に

すぐ男子を好きになり時間が経てば、ためらいも手放してしまう盛隆は熱しやすく冷めやすい性格だったと思います。

また、自由が得られない人質の身から大名家の当主となったので、欲しいものは必ず手に入れたい一種の独占欲みたいなものも持っていたことも考えてしまいます。

何にしても飽きたらポイッではなく、飽きても家臣として重用できていたら蘆名氏は衰退してはいなかったと思ってしまいます。

参考:長谷川ヨシテル『ポンコツ武将列伝』

 

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