元祖かかあ天下!飛鳥時代、絶体絶命の窮地を切り抜けた豪族の妻【上】:2ページ目
勝負はこれから……酔っぱらった妻に叱咤される
「何奴……っ!?」
形名の腕を掴んだのは、彼の妻でした。どういう訳か、酒甕を抱えてベロベロに酔っ払っています。
「なにやつぅ?……あんた、長年連れ添った伴侶を忘れたってぇのかい?……ヒック」
安堵した形名は、怒りと狼狽で妻を詰(なじ)りました。
「お前、この非常事態に何を悠長な……!」
対する妻はいっかな動じず、悠然と酒甕を呷(あお)ります。
「だからじゃないのよ……これから夜陰に乗じて敵に斬り込むんでしょ?身体をあっためておかないとでしょ?……ウィ~」
どう見ても頭の中まであったまり過ぎているような気がしますが、とにかく逃げ出そうとする形名の襟首をむんずと掴んで放してくれません。
「それよりあんたねぇ……いったいどこへ逃げようってのよ?」
据わった酔眼をギロリと向けて、妻は形名を問いただしました。
「よしんばここで蝦夷の囲みから逃げ出せたところで、そっから先はどうするの?ネズミのようにコソコソと、ずっと何かを恐れて逃げ回る人生が待っているだけじゃない」
違う?と熟柿の吐息を吹きかけて、妻は熱弁を続けます。
「あのね……あなたの、そして私たち上毛野一族の祖先は、かつて青く広がる大海原を渡り、万里の山野を踏破して、武威を轟かせたと言うのに……今ここであなたが逃げれば、彼らの名誉が水泡に帰するのよ?」
「そりゃそうだが、俺は……」
「あなたが彼らと違うのは当然だけど、あなたにも彼らと同じ、英雄の血が流れているの……いい?戦さってェのは数だけじゃないわ。何より大事なのは気合と呼吸、そして天運……勝負はこれからじゃないの」
口先だけなら勇ましいことも言えるけど……形名は妻に訊ねます。
「仮にも歴戦の勇士に知った口を利くようだが、勝算もなく兵を死地に駆り立てるは一軍の将にあるまじき軽挙……策はあるのか?」
不敵に笑って、妻は頷きました。一体どんな秘策を用意しているのでしょうか。
【続く】
※参考文献:
宇治谷孟『全現代語訳 日本書紀(下)』講談社学術文庫、1988年8月
田中良之『古墳時代親族構造の研究』柏書房、1995年5月