行使するには命がけ!武士の特権「斬り捨て御免」にはむやみに発動できない様々なハードルがあった:2ページ目
ちなみに、無礼討ちは相手から受けた無礼に対してその場で即応せねばならず、「あの時は黙っていたが、やっぱり許せない」と言った卑怯未練の動機は認められませんでした。
そもそも武士たる者、侮辱を受けたならば、その時点で自分が死んだ(殺された)ものと心得て、躊躇いなく(死罪など厭うことなく)相手を殺さねばならないからです。
そして、一度刀を抜いた以上は目的=相手の殺害を仕果たさねばならず、相手に逃げられた場合は「武士の本分である武の研鑽を怠っていた」としてこれまた処罰の対象となりました。当然、相手にも抵抗する権利があるので、返り討ちに遭うリスクもあります。
一口に「斬り捨て御免」と言っても、その実行には数々のハードルが設けられており、いくら武士だからと言っても、好き勝手に人を斬ることは出来なかったのです。
終わりに
士農工商と言われたように、とかく江戸時代は身分制度が厳格で、庶民(農工商)は特権階級(士)にひたすら搾取・弾圧されていたかのように教えられがちですが、実際には必ずしもそうではありませんでした。
庶民であっても勉学や稼業に励んで豊かになり、苗字帯刀の権利を買って武士然と振る舞った者もいれば、硬直した身分制度のゆえに仕官もままならず、貧乏のあまり魂であるはずの刀さえ質に入れてしまった武士も少なからずいたようです。
また、とりあえず飢える心配のない為政者階級の武士たちにしても、常に弱い者に心を寄せる惻隠(そくいん)の情が求められ、その多くは人の上に立つ者に相応しい資質を絶えず研鑽し続けていました。
ただ刀を振りかざし、武力で脅して抑えつけるだけではなく、相応の仁徳を備えて(それなりの)平和と秩序をもたらしたからこそ、二百年以上にわたって徳川の世が存続できたのでしょう。
※参考文献:
高柳真三『江戸時代の罪と刑罰抄説』有斐閣、1988年