功徳を積んだら地獄行き!?「我地獄に入らざれば…」禅を極めた趙州和尚の言葉が深い:3ページ目
終わりに
僧侶が俗世を離れて煩悩を断ち切り、厳しい修行に明け暮れるのは「自分が極楽浄土に行くため」「来世も人間に生まれてくるため」と言った「我欲」ではなく、あくまで迷える衆生を済度するため。
極楽浄土に仏がいるのは当然ですが、むしろ衆生が煩悩にまみれてもがき苦しむ地獄にこそ、仏は必要とされているのではないでしょうか。
「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」
※小原国芳(おばら くによし。明治二十1887年生~昭和五十二1977年没。教育者)
誰もが「得をしたい、楽をしたい」と願い、その極致である「極楽浄土」「人間としての来世」を見返りとして功徳を積む中で、あえて地獄を選び、損な役回りを引き受けようとする趙州和尚の生き方は、私たちに何かを訴えかけるようです。
参考文献:蔡志忠『マンガ 禅の思想』講談社+α文庫