織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【中】:2ページ目
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岩村城は陥落、そして艶は……
「なんと、妾を……?」
虎繁の要求は、概ね以下の通りでした。
一、降伏すれば、岩村城内にいる全員の命を助ける。
一、織田方への人質として指定する者以外は、その身柄を解放する。
一、武田に仕えず岩村城から去る者については、当座の路銀と糧米を支給する。
ここまで聞く限り、誠に寛大な処置に思えますが、最後にこんな一か条が示されました。
一、修理婦人(艶)は、虎繁の妻となること。
要するに虎繁は「艶さえ結婚してくれれば、皆の命を助ける」と言ったのですが、そこまでして妻に迎えたいほど、艶が美しかったことが察せられます。
この時、虎繁は46歳(大永七1527年生まれ)の男ざかり、艶は推定40歳前後の女ざかり。年齢的には釣り合っており、「武田の猛牛」と称えられた名将でもありますから、決して悪い条件ではありません……が、亡夫・遠山景任への愛情は断ち切りがたいものでした。
皆の命を助けるか、貞操を全うするか……さんざん悩み抜いた結果、艶は虎繁の妻となることを選んだのでした。
この決断によって悲劇的な末路を迎えることになるのですが、艶にとって、これ以外の選択肢は考えられなかったことでしょう。
参考文献:
加藤護一 編『恵那郡史』恵那郡教育会、大正十五1926年
川口素生『戦国軍師人名辞典』学研M文庫、平成二十一2009年
平山優『新編 武田二十四勝正伝』武田神社、平成二十一2009年
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