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なぜ脱走?なぜ切腹?謎が多く残る新選組 総長「山南敬助」

なぜ脱走?なぜ切腹?謎が多く残る新選組 総長「山南敬助」:2ページ目

謎の脱走と切腹

このように、剣術の腕が確かだったこともあって順調な出世コースを歩んだように見えた山南でしたが、1864(元治元)年に同じ北辰一刀流の伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が山南を上回る参謀という地位で新選組に入隊した頃から、雲行きが怪しくなっていきます。

これを機に、山南は新選組幹部としての立場を失っていくこととなったのです。

1865(元治2)年2月、山南は「江戸へ行く」と置き手紙を残して脱走し、滋賀県大津で追手として差し向けられた沖田総司に追いつかれて連れ戻されました。

山南脱走の本当の理由は諸説ありますが、本人が決して語ろうとしなかったこともあり、いまだにはっきりしていません。
いずれにせよ、新選組の隊則では「局を脱するをゆるさず」とされ、脱走は切腹でした。
この掟に基づき、山南は沖田の介錯によって切腹しました。
33歳でした。

劇団HumanDustUnionにより2011(平成23)年9月29日~10月2日に上演された新選組をモチーフにした舞台『オンボロ屋根から見る夢は・・・第三部 夢想華』では、山南敬助の脱走~恋人だった馴染みの遊女・明里との別れ、そして切腹までが描かれました。

ここまで謎に包まれた山南を現代によみがえらせるために、演じた役者・脚本家・演出家とも、相当な想像力と力量が試されたことが容易に想像できますね。

 

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