江戸時代に大奥女中をオトしまくり出世を目論んだイケメンエロ僧侶は存在した!【後編】:2ページ目
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寺社奉行、動く!
寺に通う奥女中が増えれば増えるほど、日潤の怪しい活動は隠すことが難しくなり、やがてついに寺社奉行の脇坂安董(わきさかやすただ)に「延命院が怪しい」と嗅ぎ付けられました。しかし、身分が高い奥女中が関係する事なので簡単には運ばず、このスキャンダルを暴くには相当用意周到にしなければなりませんでした。
そこではっきりと証拠をつかむために、脇坂は女密偵を奥女中の付き人に紛れ込ませて延命院に送り込みました。その結果、本堂の内部にある特別サービスが行われていた隠し部屋が発見され、享和3(1803)年5月26日、脇坂自らが延命院に踏み込んで日潤や加担していた若い坊主たちを一斉検挙。ついに日潤の悪行は暴かれたのでした。
日潤、あえなくお縄に
お縄にかかった日潤は、その約2か月後の7月29日に処刑されました。現代からするとかなり厳しい処分に思えますが、当時はそれほど僧侶の女犯は重い罪だったのです。
日潤は元々は顔だけでなく説法も上手い善良な僧侶だったのに、ねじ曲がった野望を抱いたがために身を滅ぼしたのでした。ちなみにこの事件は後に河竹黙阿弥によって「日月星享和政談(じつげつせいきょうわせいだん)」という歌舞伎にもなりました。
日潤自身も、生まれは有名な歌舞伎役者の隠し子という説もあり、出家する前は歌舞伎役者のたまごとして修業していたとも伝わってます。
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