【豊臣兄弟!】狩野永徳(片岡鶴太郎)、実は秀長より年下!信長・秀吉を魅了し絵に命を捧げた生涯
豪快かつ緻密な画風で人気を博した狩野永徳(かのう えいとく)は、安土桃山時代を代表する絵師の一人でした。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第38回『和を以て、大和をなす』では、片岡鶴太郎が演じる永徳が初登場しました。
劇中では完成した絵を前に、秀吉が永徳へ熱心に質問を投げかける場面がありましたが、実際に織田信長や豊臣秀吉といった天下人が自ら彼に制作を依頼していたのは紛れもない史実です。
今回は狩野永徳の生涯をたどってみたいと思います。「豊臣兄弟!」を楽しむ参考になれば嬉しいです。
※関連記事:
【豊臣兄弟!】秀長が頼るキーマン・才蔵(間宮祥太郎)の実在モデルは?郡山繁栄を起こす『起爆剤』
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第38回は『和を以て、大和をなす』。キーパーソンの一人として登場するのが、奈良の筆屋の主人・才蔵(間宮祥太郎)です。ドラマの公式サイトの紹介では、筆づ…
『豊臣兄弟!』「夢のまた夢」あの辞世の句を生んだ秀吉の感性|師・細川幽斎と紡いだ亡き子への想い
「露と落ち 露と消えにし我が身かな……」豊臣秀吉(池松壮亮)が遺した有名な辞世の句。実はこの繊細な感性の裏には、彼が「生涯の師」と仰ぎ、和歌の奥義を学んだ細川幽斎(亀田佳明)の存在がありました…
絵師として活躍
狩野永徳は天文12年(1543年)1月13日に狩野松栄(しょうえい)の子として、京都で誕生しました。
実は天文9年(1540年)生まれの羽柴秀長より年少なのですね。
有名な永徳とは号であり、諱(実名)は狩野州信(くにのぶ)、通称は狩野源四郎(げんしろう)と言います(※以下、永徳で統一)。
永徳が歴史上に姿を現したのは天文21年(1552年)1月29日。祖父の狩野元信(もとのぶ)に連れられて、足利義輝(第13代将軍)に謁見しました(諸説あり)。
幼少期から絵画の修行を重ね、永禄10~11年(1567~1568年)にかけて近衛前久(このえ さきひさ)邸で障壁画を手がけています。
障壁画とは、日本建築の壁・襖・障子・杉戸・衝立・屏風などに描かれる絵画の総称です。
また元亀2年(1571年)には豊後国(大分県)の大友宗麟(おおとも そうりん。大友義鎮)に招かれ、丹生島城(にうじまじょう。大分県臼杵市)の障壁画を手がけました。
この時、公家の久我晴通(こが はれみち)・僧侶の怡雲宗悦(いうん そうえつ)・彫金師の後藤徳乗(ごとう とくじょう)・薬師の吉田牧庵(よしだ ぼくあん)らも同行しています。
ページ: 1 2


