ヤマト政権の巨大古墳、実は「外交兵器」だった!?世界に誇るスケールで仕掛けた“威信演出”とは?
巨大すぎる王墓
奈良盆地から大阪の河内地方にかけて勢力を広げていたのが、ご存じヤマト政権です。
当時の日本には文字による記録がなかったため、その実像を知る直接的な史料は多くありません。
そんなヤマト政権の力を考える手がかりが、各地に残る巨大な前方後円墳です。
ヤマト政権の勢力圏と考えられる地域には、大型古墳が集中しています。代表格が大阪府堺市の百舌鳥古墳群です。
この古墳群は二〇一九年には世界遺産となり、全長四八六メートルの大山古墳、伝・仁徳天皇陵も残されています。
ちなみに仁徳天皇陵や古墳に関して、こちらの記事でちょっとした雑学を紹介していますので、是非チェックしてみてください。
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大和川水系には、ほかにも重要な古墳群があります。奈良県桜井市の三輪山西側には纒向古墳群があり、最初期の前方後円墳とされる箸墓古墳も存在しました。
箸墓古墳については、これを卑弥呼の墓と考える説もあります。さらに奈良市の平城宮跡北側には佐紀盾列古墳群があり、一〇〇~二〇〇メートル級の前方後円墳が集中しているのです。
大阪府羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群も重要な存在です。百舌鳥古墳群と同じ五世紀のヤマト政権の大王墓古墳群と考えられています。
つまり、大和川水系から大阪湾へつながる地域に巨大古墳が集まっているわけです。こうした古墳の分布は、ヤマト政権の勢力範囲を考察する上で大変重要です。

