ヤマト政権の巨大古墳、実は「外交兵器」だった!?世界に誇るスケールで仕掛けた“威信演出”とは?:2ページ目
墓室は意外と質素
ところで、これほど巨大な古墳には、さぞ豪華な墓室があるだろうと思いがちですが、実際にはそう単純ではありません。
世界的に見れば、権力者の墓には大規模で豪華な墓室・副葬品がつきものです。例えばピラミッドや秦の始皇帝の山稜がそうですね。
ちなみに規模だけで言えば、百舌鳥古墳群の大山古墳に代表される前方後円墳は秦の始皇帝の山陵にも劣りません。
しかし、前方後円墳の墓室は丘陵に横穴をほってつくられ、遺体はそれほど大きくない石槨に納められました。副葬品も多くなかったようです。
巨大な墳丘に対して、墓室は比較的質素だった。このことから、前方後円墳には死者を葬る以外の目的もあったのではないか、という説が出てきます。
巨大な墳丘なら、そこに葬られた大王の力を周囲に見せつけられます。ヤマト政権に従った地方豪族に対して、支配者の権威を目で見える形にする効果もあったでしょう。
さらに注目したいのが大阪湾です。当時の大和川の河口は現在より上流にあったと考えられているため、百舌鳥古墳群は今より大阪湾に近い場所にありました。
つまり、当時は海から巨大古墳を見せることができたのです。ここから、古墳を外交上のけん制に利用したという説につながっていきます。
