織田信長を火縄銃で狙撃した謎多き男「杉谷善住坊」とは?狙撃の理由やその後に迫る
元亀元年(1570)、朝倉攻めのはずが浅井長政の裏切りによって、撤退を余儀なくされた金ヶ崎の戦い。
辛くも京都へ撤退し、体勢を立て直すために岐阜城へ戻っている最中、織田信長は火縄銃で狙撃されました。
それを実行した人物は杉谷善住坊(すぎたに-ぜんじゅぼう)。火縄銃の名手として知られています。
そんな杉谷善住坊ですが、最も勢い盛んだった信長を狙撃した理由は、果たして何だったのでしょうか。
今回は、善住坊が信長を狙撃した理由とその後を紹介します。
謎多き人物・杉谷善住坊
善住坊については多くが謎に包まれており、生年月日や出身地が不明です。そのため、甲賀五十三家の一つである杉谷家出身の忍者や、伊勢国にある杉谷城の城主だったのではないかと言われています。
また、火縄銃の名手だったので、雑賀衆や根来衆、猟師ともいわれていますが定かではありません。
ちなみに、善住坊の名前から僧侶だったのではと指摘されていますが、憶測の範囲内に留まっています。
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