女中たちが虜!僧侶と大奥の女中による江戸時代の密会スキャンダル「智泉院事件」
みなさんは、「智泉院事件(ちせんいんじけん)」という出来事の名前を聞いたことがありますか?
江戸時代、多くの女性たちが仕え、華やかなイメージがある大奥と関係がある事件なのですが、実はけっこうなスキャンダルでした。
そこで、今回の記事では、そんな智泉院事件について詳しくご紹介したいと思います。
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ことの発端は、ひとりの側室だった
今回の記事の舞台となる時代背景は、徳川家11代将軍・徳川家斉(とくがわ・いえなり)の治世下でした。
徳川家斉といえばその政治よりも、彼の子どもの多さで有名です。側室は16人以上で、子どもは50人以上とも言われますから、他の徳川家将軍たちと比べてもそのすごさがわかるはずです。
精力強化に熱心!?”夜の営み”で数々の伝説を残す江戸幕府11代将軍・徳川家斉
精力強壮のためにオットセイの粉を飲んでいたとのことから、「オットセイ将軍」なんて言われることも。
そんな彼ですが、側室のなかでも特に寵愛を受けたのが、お美代(みよ)の方という女性。彼女は、もともと智泉院住職の娘でしたが、旗本・中野清武の養女となり、大奥へ送り込まれています。
家斉の寵愛を大きく受けたお美代の恩恵を受け、実父・養父ともに大きな力を持つようになっていきました。
父娘の暴走!?
お美代の方は、家斉におねだりして、実父が住職を務める智泉院を、将軍系のご祈祷所にしてもらいました。
さらに、大奥は普段外出ができませんが、この智泉院へのお参りという口実のもと再三訪れさせるようになります。しかし、ここには女中たちの息抜きのほかに、裏の目的がありました。
それは、大奥の女中たちが、寺にいる僧侶たちと密会するというもの。大奥の女中たちを夢中にさせることによって、さらに権力を手にしようとしたことがうかがえます。