これが武士の生き方!主君や家族、友人の為に命を懸けた日本三大仇討を紹介:2ページ目
全ては主君の名誉のために…
二つ目は旧浅野家家臣47人が行った赤穂事件です。
この仇討の発端は赤穂藩主・浅野内匠頭が高家の吉良上野介に対する恨みから始まります。
内匠頭は吉良に対して恨みを持っていて、我慢しきれなかった内匠頭は江戸城松の廊下で吉良を斬りつけました。
この時の江戸城は最も格式の高い行事を行っていた最中でした。このような事態を起こした内匠頭に幕府は許すはずもなく、即日切腹を申し付けると同時に赤穂藩はお取り潰しとなってしまいます。
内匠頭だけ処分を受けることに対して赤穂藩の家臣は反発を起こし、大石を中心に吉良討伐に向けて動き出します。そして、元禄15年(1703)の冬、47人は吉良邸へ潜入し、見事吉良を討ち取ります。
吉良を討ち取った46人(1人は逃げたとされています)は幕府にこのことを報告し、これを受けた幕府は処罰方法に斬首を考えていました。
しかし、46人の武士の面子を通すため一番名誉ある死である切腹を命じ、46人は潔く切腹しました。