教育(ひとづくり)こそ未来の希望!小林虎三郎が残した「米百俵の精神」とは

古来「身を喰う芸が、身を助く」とはよく言ったもので、とかく学問や経験というものは、身銭を切るほど己が血肉となります。「たとえメシ一食抜いてでも本を買え(読め)。ひもじい思いは十日の辛抱、それを十年続ければ、お前は必ず、一生メシが喰えるようになる」

かつて筆者にそう言った人がいましたが、中国の古典『大学』に「修身斉家治国平天下(※)」とあるように、教育(ひとづくり)とは学ぶ個人だけに留まらず、家庭や社会、ひいては天下に至るまで、未来につながる希望となるのです。

(※)修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)

「身が修(おさ)まれば家が斉(ととの)い、家々が斉えば国が治まり、国々が治まれば天下が平らぐ=平和になる」のだから、まずは一人々々が我が身に学問を修めるところから始めよう、という意味の言葉です。

たとえ今は貧しくても、それに負けることなく学問を修めて教育を施し、次世代に、未来に希望をつないで行こう。

今回は、そんな信念を持って幕末から明治に生きた偉大な政治家にして教育者、小林虎三郎(こばやし とらさぶろう)が訴えた「米百俵(こめひゃっぴょう)」のエピソードを紹介したいと思います。

3ページ目 北越戦争に敗れ、極貧の長岡藩

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