江戸時代の一般的な武士には、サラリーマンが思わずうなづいてしまう共通点がたくさん

湯本泰隆

江戸時代の一般的な武士の世界と、現代のサラリーマンには思わずうなづいてしまいたくような共通点がたくさんあります。

明治政府が徳川幕府の官僚機構を元にして形成し、敗戦後の日本もそれまでの官僚機構を残していたのだから、当然かもしれません。

武士が仕えるのは、あくまで自分の藩であり、この藩と武士との関係を、現在の会社とサラリーマンの関係に見立てることができます。

呑んでばっか(笑)江戸時代の下級武士のリアルな暮らしを記した絵日記がオモシロすぎる!

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たとえば、五万石の大名に仕える武士は、藩(会社)から給料をもらいます。大名が社長だとすると、家老は副社長といったところでしょうか。

もちろん、家格(家柄)によって出世が保証されている武士もいますが、これはキャリアとノンキャリの違いとして考えることができます。

実力があり、能力があると認められれば出世した武士もいました。

ところで現代では、会社が倒産するのと同じように、藩が取り潰されこともありました。現在と違うのは、財政窮乏のために藩が倒産したということがなかったということくらいでしょうか。

藩の場合は、後継ぎがいなかったり、御家騒動が発生したり、幕府の法令違反でつぶされるということが良くありました。再就職先(再仕官)が長く続けば浪人暮らしが長く続き、次第に生活は窮乏していきました。

浪人が糊口をしのぐ手段として傘張りをしていたことはよく知られていますが、学問や武術に優れて入れば寺子屋を開いたり、町道場で武芸を教えて生活を支えました。

3ページ目 浪人の妻は自分の体を売って「夜鷹」に

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