今と違う!?江戸時代の富士山の姿をまとめてみました。
22日、富士山が世界文化遺産に登録されることが、正式に決定されました。毎年、夏には多くの登山客で賑わいますが、今年は更なる賑わいを見せることは間違いないでしょう。
富士山を描いたものとして、最古の記録は平安時代の物がありますが、絵画自体は残っておりません。現存する最古の物としては、延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』と言われています。その後、江戸時代に入り浮世絵師達が競うように、様々な富士山を描いていきます。
今回は、江戸時代に富士山が描かれた絵をまとめてみました。
先ずは、言わずと知れた有名な『富嶽三十六景』から、三枚抜粋しました。「三十六」と言いますから、北斎は三十六の景色を描いたのでしょうか?いいえ、実は『富嶽三十六景』は合計で四十六枚あるのです。当初はその名の通り三十六枚の予定でしたが、予想以上の反響に十枚追加したとのことです。因みに、その追加された十枚を「裏富士」と呼びます。
≪富嶽三十六景 深川万年橋下≫葛飾北斎
≪富嶽三十六景 諸人登山≫葛飾北斎
この浮世絵、富士山を探すことが出来ますか?どこにも描かれていないように見えますが、実は人々が登っている山こそが富士山なのです。また、絵の右上でたくさんの人々が描かれていますが、これは途中で休憩している人々です。
≪富嶽三十六景 神奈川沖波裏≫葛飾北斎
≪登龍の不二図≫葛飾北斎
これは『富嶽百景』という、様々な富士を題材にした絵本の一ページです。全三巻からなり、この絵が掲載されているのは1835年刊行の第二巻です。
≪東海道五拾三次之内 原 朝之富士≫歌川広重
≪雙筆五十三次 日本橋≫歌川広重
≪雙筆五十三次 藤澤≫三代豊国(歌川国貞)
この二枚の絵は、風景画と人物画が別々に描かれています。『雙筆五十三次』というもので、広重と三代豊国(国貞)の合作です。人物を豊国が、風景を広重が描きました。嘉永六年(1853年)「豊国にかほ(似顔)、国芳むしゃ(武者)、広重めいしょ(名所)」と、評されていた当時の人気浮世絵師の内二名の作品です。各宿場一枚、目録一枚を加え、合計で五十六枚からなります。
≪江戸名所道外盡 壹 日本橋の朝市≫歌川広景
≪木曽街道 塩尻峠諏訪ノ湖水眺望≫渓斎英泉
この『木曽街道六十九次』は、全七十二図の内二十四図が英泉の筆によるもので、残りの絵は全て歌川広重の作品です。
≪四季の富士≫鳥居清長
丸くくり抜かれた飾り窓から見える真っ白な景色の中に、富士が見えます。鳥居清長は、六大浮世絵師の一人で、浮世絵師デビューした当時、清長はまだ十五歳だったそうです。
様々な角度から見た富士山。あなたは、どの角度からの姿が、お気に入りですか?