天正18(1590)年に、徳川家康は江戸城に入城します。当時の江戸城は手入れもされておらず、石垣もない荒れた城でした。
徳川家康が粗末な江戸城に入城したのは、江戸のポテンシャルに気づいたから?
家康、江戸に入城す天正18年(1590)、徳川家康は江戸城に入城し、この日から家康による関東支配がスタートしました。このときの江戸城は立派といえるものではなく、むしろ荒れ果てていました。石垣はまっ…
1603年に江戸幕府を開府、江戸城を幕府の本城とした家康は江戸城の工事をするにあたり誰かに遠慮する必要もなく、全国の大名に命じて天下一の城を作ることに取り掛かりました。つまり、天下普請(てんかぶしん)ですね。
1604年、幕府は江戸城の大構築計画を発表し、いよいよ大工事の始まりです。石垣を築く土木工事には、かつて豊臣家に仕えていた外様大名の池田輝政(姫路)、福島正則(広島)、加藤清正(熊本)、黒田長政(福岡)などが任命されました。
見事なチームプレイで石運び
江戸城を築くために、大量の石材の調達が必要となりました。大名たちは石を運ぶために、それぞれ300~400艘もの石船を準備しなければいけませんでした。この仕事は2年がかりにもなったそうで、これだけでもひと苦労です。採石場では、石工が金槌とノミで穴を掘って崖から石を切り出し数トンの大きさにします。それを人夫が修羅というソリにのせて、海岸まで運んでから、石船に積み込んだそうです。
ときには悪天候のこともありました。慶長11(1606)年、海が時化て、佐賀藩主・鍋島勝茂の石船は120艘も沈没、このほかにも加藤嘉明の船が46艘、黒田長政は30艘もの船が沈没したそうです。危険が伴う、命をかけての仕事だったのですね。