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【豊臣兄弟!】茶々、側室入りの引き金に…信長の実子で秀吉の養子・羽柴秀勝の短い生涯

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養父・秀吉のそばで着実に戦果をあげるも

羽柴秀勝は、実戦で大きな手柄を立てて目立ったわけではないのですが、父・秀吉のそばで主な合戦に参加しています。

天正10年(1582)には秀吉に従い、中国攻めに参戦。けれども6月に本能寺の変が勃発するとともに、秀吉の「中国大返し」に同行、共に引き返しました。

そして、山崎の戦い(6月13日)に参加。異母兄・織田信孝とともに「信長の実子」として弔い合戦の旗印(象徴)の役割を果たしたといえるでしょう。

清須会議後の遺領配分では、明智光秀の旧領・丹波国を与えられ、丹波亀山城主に就任。

大徳寺で行われた信長の葬儀では喪主を務め、秀吉が「信長の後継者」であることを内外に印象づけました。

さらに、賤ヶ岳の戦い(天正11〜12年/1583〜84年)に参加。秀吉方として帯同。

小牧・長久手の戦い(1584年)にも出陣。近江草津に陣を張り、木曽川筋の攻撃などで活躍。伊勢松ヶ島城攻略では秀長とともに別働隊を率いた記録もあるといわれています。

ドラマでの「小牧・長久手の戦い」では、秀吉の甥・三好信吉(豊臣秀次/山田涼介)の王道プリンスなビジュアルと「負けたのは私のせいですかね?」な他責思考の態度が注目され、秀勝の戦いぶりは目立ちませんでした。

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史実では、『兼見卿記』によると、「小牧・長久手の戦い」秀勝は出陣はしたものの途中で体調が悪くなり、大垣城に留め置かれたり、丹波に帰国したりしています。

婚礼、鷹狩りの後に容体は悪化

天正12年(1584)12月26日、秀勝は毛利輝元の養女と婚礼を挙げ、一時回復して鷹狩りに出かけた記録もあるそう。

けれども、その後再び病床に就き、天正13年(1585)年7月に従三位・左近衛権少将、正三位・権中納言に叙任されたものの直後に容態が悪化し、12月に丹波亀山城で死去しました。

病状は一進一退を繰り返していたようですが、具体的な病名などの記録はないようです。

最後に

織田信長の血を濃くひいた人物として、将来を嘱望された羽柴秀勝。これからというときに病で若くして人生を終えてしまいました。

秀勝の死は、「信長の名である茶々を別妻として娶る」という、豊臣の後継問題だけではなく、秀吉はもちろんのこと、茶々や寧々の人生にも大きな影響を与えた人物だったのです。

今後の「豊臣兄弟!」の展開に関して、下記記事で紹介しています。ぜひご覧ください。

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参考:
・『豊太閤と其家族』渡辺世祐
・「総論 羽柴秀吉一門の研究」『羽柴秀吉一門』黒田基樹

 

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