『ブラッサム』17歳で結婚、連れ子の娘とはわずか14歳差…珠の継母(国仲涼子)のモデル・佐伯リュウの生涯 :2ページ目
夫の死後の家族を支え、作家となった千代を迎える
やがてリュウと千代との関係は、新たな局面を迎えます。
明治44(1911)年、成長した千代はリュウとは別に生母トモがいたことを初めて知らされました。それまで千代はリュウを実母だと思っていました。同年、千代は父・俊次の命によって従兄の藤村亮一と結婚。しかしわずか10日ほどで実家に帰っています。
大正2(1913)年2月8日には、俊次が病没。リュウは千代と5人の実子を抱える立場になりました。
このとき、俊次が放蕩生活を送っていたこともあり、生活は途端に窮迫したと伝わります。
俊次の実家からの援助も少しはあったと推察されますが、暮らし向きは決して豊かであったとは想像できません。リュウは暮らしを支えるために製糸工場に就職。千代の学費も工面して学業を続けさせました。
大正3(1914)年、千代は岩国高等女学校を卒業。川下村尋常小学校の代用教員として勤務します。しかし翌大正4(1915)年、千代は代用教員の職を失って郷里を離れることとなりました。
大正5(1916)年、千代は実母・トモの姉であるカツの子・藤村忠(亮一の弟)を頼って京都へ移住します。
その後、しばらく千代が岩国に帰郷することはありませんでした。
大正11(1922)年、作家となった千代は、原稿料を手に帰郷。リュウや弟妹と再会します。
大正15(1926)年、千代が尾崎士郎と岩国の新港に滞在。このときも、リュウと弟妹は二人を訪ねています。その後も千代は東京で生活しましたが、リュウや弟妹を助け故郷との関係を保ちます。
昭和26(1951)年、リュウは世を去りました。享年98。千代たち家族を慈しみ、慈しまれた生涯でした。
後年、千代は著作『おはん』を描きます。そのモデルとなったのが、ほからなぬリュウでした。
千代が人の心を打つ物語を紡げたのは、リュウをはじめとした大切な存在があったのだ、と感じずにはいられません。
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※参考文献・参考サイト
- 「宇野千代さんのホームページ」
- 宇野千代・藤江淳子ほか『新版 宇野千代 女の一生』新潮社 2026年
- 宇野千代『生きて行く私』中央公論社 1992年

