手洗いしっかりしよう!Japaaan

源頼朝に血祭りにあげられた男…「悪代官」の濡れ衣・山木兼隆|在任わずか50日のあまりに不遇な生涯

源頼朝に血祭りにあげられた男…「悪代官」の濡れ衣・山木兼隆|在任わずか50日のあまりに不遇な生涯:3ページ目

八巻と称した子孫たち

かくして治承4年(1180年)8月17日、三島大社の祭礼で郎党たちの多くが不在であった隙を突かれた兼隆は、加藤景廉(かとう かげかど)に討ち取られてしましました。

一説によると、兼隆は出家して基饒(きじょう)と号しており、その子孫たちは伊豆から脱出したと言われています。

武蔵国秩父郡(埼玉県西部)へ逃れた山木一族は、苗字を読みは同じ八巻(やまき)と改めました。

そして甲斐国(山梨県)の武田氏・常陸国(茨城県)の佐竹氏・越後国(新潟県)の上杉氏・陸奥国(東北地方)の伊達氏などに仕えたそうです。

終わりに

今回は源頼朝の挙兵で真っ先に討たれてしまった山木兼隆について、その生涯をたどってきました。果たして彼が伊豆の目代としてどのように振る舞ったのか、今後の究明がまたれますね。

往々にして悪役に描かれがちな人物ですが、意外な魅力や活躍があったのかもしれません。新しい情報や発見があったら、是非またお伝えしたいと思います。

※参考文献:

  • 川合康『院政期武士社会と鎌倉幕府』吉川弘文館、2019年2月
  • 永井晋『鎌倉源氏三代記:一門重臣と源家将軍』吉川弘文館、2010年6月
 

RELATED 関連する記事