「聖徳太子」は誰が作った?手柄の完全な横取り…奪われた「蘇我馬子」の功績と歴史の闇:2ページ目
馬子の功績
ここで問題になるのが蘇我馬子でした。冠位十二階や憲法十七条の制定など、馬子に結びつく政治上の業績はかなり大きなものだったのです。
これらをすべて馬子の功績として記録すれば、後から勢力を伸ばした藤原氏の存在が目立ちにくくなります。そこで、蘇我馬子の業績を別の人物へ移したのではないかという説があります。
その「別の人物」の候補として注目されたのが厩戸王(うまやとおう)(=聖徳太子)だったというわけです。
聖徳太子に関する話題は下記記事でも取り上げています。ぜひご覧ください。
日本史上屈指の偉人・聖徳太子の実績を全否定!『日本書紀』によって歪められた人物像【前編】
否定される聖徳太子の功績冠位十二階や十七条の憲法の制定で知られる聖徳太子は、紙幣の肖像に採用されたこともある人物です。おそらく、日本で最も有名な偉人のひとりと言っても過言ではないでしょう。…
あの史実も予言していた!歴史上もっとも謎だらけの男「聖徳太子」が残した予言とは?
歴史上、もっとも謎に包まれている人物として有名な聖徳太子(しょうとくたいし)。聖徳太子は、未来を予言していたと言われています。そこで今回は聖徳太子が予言し、書き残したと言われている「未…
厩戸王の父は用明天皇で、推古天皇とは同母兄弟という関係にあります。さらに都合が良かったのは、厩戸王には後世に異論を唱える血族が残っていない点です。
山背大兄王の時代、皇位継承をめぐる争いから蘇我入鹿によって一族全員が殺害されたためです。反論する血族がいなければ、伝承の内容を確かめることも困難です。
『日本書紀』の完成は720年、行信による法隆寺夢殿の完成は739年であり、厩戸王の死後には長い時間が経過していたため、後世に新しい人物像を付け加えやすい条件があったとも考えられます。
こうして厩戸王は、後に聖徳太子と呼ばれる人物としてイメージが作られていったのだと考えられます。
ただし、こうしたイメージ作りに、藤原不比等が実際にどこまで関与したのかを直接示す史料はありません。


