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朝ドラ「風、薫る」会津戦争で姉を失った悲劇…女学校の校長・望月勘治(関智一)のモデル・中野豊記の生涯

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新潟県視学から高田高等女学校校長へ

やがて豊記は、新潟県視学を務めるようになりました。

視学とは、学校を巡回し、授業や学校運営を調査・指導する教育行政の職です。現在の教育委員会の指導主事や学校監督官に近い役割でした。

当時の新潟県には、都市部だけでなく、山間部や豪雪地域にも学校が置かれていました。しかし、教員の力量や教材、校舎の状態には大きな差があったのです。

視学には、教育内容だけでなく、地域の事情を理解し、学校と行政をつなぐ能力が求められました。

教師として授業を知り、教科書編纂にも携わった豊記は、学校を指導する立場にふさわしい経験を積んでいたのでしょう。

豊記は、幕末の武士から近代国家の教育行政官へと、自らの役割を変えていったのです。

明治33(1900)年5月7日、中頸城郡立高田高等女学校が開校。初代校長に選ばれたのが、当時、新潟県視学を務めていた豊記でした。

学校は現在の新潟県上越市にあった寺町の善導寺を仮校舎として出発。尋常小学校を卒業した女子に中等教育を行いました。

当時、女子が中等教育を受けられる機会はまだ限られていました。女学校では、国語、歴史、地理、算術などに加え、裁縫や家事に関する教育も行われました(このとき、舎監として赴任したのが一ノ瀬りんのモデル・大関和です)。

当時の教育の目的には近代以降の価値観である「良妻賢母」の育成が掲げられました。女性が妻や母として家庭を支えることを重視する考え方です。

朝ドラの望月勘治が「女性の幸せは良縁に恵まれること」と考えている点には、この時代の女子教育観が反映されていると考えられます。

豊記は、明治39(1906)年頃まで、初代校長を務めたとされています。

しかし、開校間もない学校では、校舎の整備、教員の確保、教育課程の作成、生徒募集など、多くの課題があったはずです。

県視学として学校制度を知り、師範学校教員として授業経験を持つ豊記は、学校の基礎を整えるうえで重要な役割を果たしたと考えられます。

明治43(1910)年5月21日、豊記は横浜で世を去ります。享年59。

会津藩士の子として生まれ、戊辰戦争では城に籠もり、姉を戦いで失いました。藩の敗北によって、武士として歩むはずだった人生も失われました。

刀によって仕える武士の時代から、知識によって人を育てる教育の時代へと、静かに橋を架けた歩みだったと言えるでしょう。

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