なぜ普通選挙と治安維持法は同時制定だった?教科書では書かれない当時の日本人が望んだもの:2ページ目
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望まれていなかった社会(共産)主義
で、ここで誤解されやすいのは、この法律によって弾圧された人々がいたんだから、当時の社会(共産)主義運動はよほどの勢いだったのだろう、ということです。
実際には、こうした社会(共産)主義運動は多くの人がほとんど意識していませんでしたし、社会主義国家を望んでもいませんでした。
実際、先述の1928年の第一回普通選挙の結果、無産政党の獲得議席はほんの数パーセントでした。新たな有権者の大半は政友会か民政党に投票したのです。
これは有権者たちも、泡沫政党より既存の二大政党のほうが自分たちの望む政策を実現してくれそうだと考えたからにほかなりません。
またその後の選挙でも、常に両党で総投票数の8割以上を獲得しています。
つまり無産者も含めて、当時の国民の大半は政友会と民政党による政権交代可能な二大政党制が望ましく、それによって日本の政治は良くなると考えていたのです。
ちなみに、治安維持法が思想の自由を弾圧した悪法中の悪法だったことは間違いありませんが、同時代の欧米の先進国では、どこの国でも同様の治安維持のための法律が存在していました。
当時はイギリスを筆頭に、大抵の国が社会主義・共産主義を警戒していたのです。
治安維持法が実はよい法律だったということはありませんが、同法は当時の主要国にとってはスタンダードな法制度であり、実は日本も主要国並みの法制度を整備していたということは言えるでしょう。
参考資料:井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義 教科書では語られていない現代への教訓』2016年、SB新書
画像:photoAC,Wikipedia
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