『べらぼう』恋川春町の覚悟の死とSNSで「理想の上司」と絶賛された主君・松平信義の言葉を考察【前編】:3ページ目
『鸚鵡返文武二道』『悦贔屓蝦夷押領』の2冊で完全に怒り狂った定信は、耕書堂に発禁処分をいい渡し、恋川春町を呼び出します。
そんな展開の中、今回、多くの人の感動を呼んだのは、主君・松平信義への家臣にたいする信頼と愛情。信義は、家臣・倉橋格が戯作者・恋川春町の才能を認めて執筆活動を応援していました。売れ行きの悪い『悦贔屓蝦夷押領』に込められた定信批判の意図もすぐに読み取り「面白い」と褒めていましたね。
蔦重から「春町は病で死んだことにして別人として絵や戯作を生業として生きていく」ことを提案され、その手配を蔦重が請け負ってくれたので、しばし定信の呼び出しに対して、“病なので治ったら申し開きに来る”と伝えて頂きたいとお願いする春町。
「申し訳ない」と頭を下げる彼に、
「当家は一万石ほどの家。際立ったものは何もない。恋川春町は当家唯一の自慢。私の密かな誇りであった。お前の筆が生きるのなら、私はいくらでも頭を下げようぞ」
…この、淡々としながらも心のこもった信義の言葉には、思わず涙を流した人も多いでしょう。1万石とはいえども、懐の深い器の大きい立派な主君。今のこのご時世に「このような上司がいたら絶対に付いていきたい」とSNSでも大評判になった場面でした。
けれども、激怒中の定信は、信義の「倉橋は病で」という言葉を信じず、「明日邸を訪ねる」と言い出す始末。信義は「逃亡せよ。あとはなんとかする」と言ってくれますが、春町は、お家や主君、ひいては蔦重たちにも類が及ぶかもしれないと切腹を決意します。
迷惑をかけまい……生真面目で義理堅い春町は、その思いが強かったのでしょうけれども、その最期は、侍としての矜持と戯作者としての矜持、両方を見せつけてくれました。
その矜持をすぐに汲み取った朋誠堂喜三二の涙、渾身の怒りを込めた言葉を吐いた信義の涙、その言葉に打ちのめされた定信の慟哭は、次回の【後編】に続きます。
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