朝ドラ『あんぱん』作曲家の頂点から突然の別れ…いせたくや(大森元貴)のモデル・いずみたくの生涯
朝ドラ『あんぱん』には、実在した人物をモデルとした登場人物が数多く登場します。
作曲家・いせたくや(演:大森元貴さん)もその一人です。
いせたくやのモデルとなったのは、昭和に実在したいずみたくです。いずみたくは演劇や音楽に親しみ、作曲家を天職として活動していきます。
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生い立ちと陸軍将校への道
昭和5(1930)年1月20日、東京都荒川区(あるいは旧下谷区(現在の台東区)谷中)で、いずみたく(本名 今泉隆雄)は生を受けたといいます。
荒川区や旧下谷区は、いわゆる下町でした。東京でありながら、どこかのんびりとした環境で幼少期を送ったようです。
いずみたくが生まれ育った時代は、愛国心が叫ばれる時代でした。
彼も周囲から影響を受けたのか、仙台陸軍幼年学校に入校。親元を離れて全寮制の寄宿舎に入ります。
幼年学校卒業者は、そのまま陸軍士官予科学校に進み、将来の陸軍将校(幹部)候補となる予定でした。
昭和20(1945)年、日本は終戦。将来を夢見ていた、たくの運命も大きく変わることとなりました。
演劇と音楽の道への船出
戦後、いずみたくは東京に戻り、新たな道を歩み始めます。
たくは、東京府立第五中学校に編入。昭和21(1946)年には開校されたばかりの鎌倉アカデミア演劇科で学び始めます。
昭和25(1950)年には舞台芸術学院演劇科を卒業。しかしこの頃には、すでに音楽への道を見定めていたようです。
たくはダンプの運転手をしながら、作曲家・芥川也寸志に師事。作曲家への道を歩み始めました。
さらに三木鶏郎の冗談工房に参加。トリローグループの一員として、放送・CMの現場で作曲の腕を磨きました。
昭和30(1955)年、いずみたくは朝日放送「ホームソング・コンクール」でグランプリを獲得。プロの作曲家としての歩みを決定づけました。
彼のモットー「歌はドラマである」は、のちのミュージカル創作と商業音楽を橋渡しするキーワードになった。初期から一貫して、街と人の息遣いを素材に、旋律を物語として立ち上げるスタイルが形成されていく。




