朝ドラ【あんぱん】に登場するマノ・ゴロー(伊礼彼方)のモデルとなった人物「キノトール」の生涯

コロコロさん

朝ドラ『あんぱん』には、大物演出家としてマノ・ゴロー(演:伊礼彼方)という人物が登場します。実はこの人物にもモデルとなった人物がいました。

その人物こそが、戦後の日本の演劇界に革新的な変化をもたらしたキノトールです。

東京で生まれたキノトールは、大学で演劇を専攻。しかし戦争によって一度はその道から遠ざかります。キノトールは、どのように戦後日本の演劇界と関わり、人々の心に残る作品を残したのでしょうか。

キノトールの生涯について見ていきましょう。

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大正11(1922)年5月30日(あるいは31日とも)、キノトール(本名 木下徹)は、東京の世田谷区で、松宮三郎の子として生を受けました。この時の出生名は松宮徹といいます。

やがて三菱系の満州パルプ工業の常務・木下壮(さかん)の養子となり、木下姓に改姓。早くから将来を嘱望されていました。

大企業の幹部の養子に入るほどですから、生家や実父が相当に信用を得ていた立場であることも伺えますね。

成長後、暢は日本大学に進学。芸術学部で生涯の天職となる劇や演出について学び始めます。

しかし当時の日本は、若者たちにとって夢を追えるような時代ではありませんでした。

昭和16(1941)年、太平洋(大東亜)戦争が勃発。日本は本格的に連合国との戦争へと突入していきます。

当時の徹はどうだったのでしょうか。

国を思う熱意に溢れていたのか、周囲の勧めもあったのか、学生であった徹は海軍予備学生に志願。そのまま学徒出陣を迎えることとなります。

徹は海軍航空隊中尉にまで昇進。しかし昭和20(1945)年に終戦を迎え、無事に生きて買えることができました。

その後、生き残った徹は、失った青春時代を取り戻すように、演劇の世界で活動していくことになります。

2ページ目 ラジオ、そしてテレビの時代へ―やなせたかしとの出会いと「怪傑アンパンマン」

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