【べらぼう外伝】松平定信に重用された火付盗賊改方・森山孝盛はなぜ「鬼平」長谷川平蔵を批判したのか?
江戸市中の治安を守る火付盗賊改方と言えば、大河ドラマ「べらぼう」で中村隼人さんが演じている、鬼平こと長谷川平蔵(はせがわ へいぞう)が有名人ですが、火付盗賊改方は創設から幕末まで、実に多くの人物が勤めていました。
今回はそんな一人、松平定信(まつだいらさだのぶ)に重用された森山孝盛(もりやま たかもり)を紹介。果たしてどんな人物だったのでしょうか。
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遅咲きながら永く活躍
森山孝盛は元文3年(1738年)、森山盛芳(もりとお)の子として誕生しました。
母親は教育熱心であり、孝盛が6歳の時から四書五経や漢詩を学ばせ、その教養が後々大いに役立ちます。
明和8年(1771年)に34歳で家督と采地300石、廩米(くらまい)100俵を受け継ぎました。
それまで永く部屋住みだったようですが、安永元年(1772年)に徳川家治へ出仕してからは忠勤に励みます。
熱心な仕事ぶりと高い能力が認められ、孝盛は大番(おおばん)・小普請組頭(こぶしんくみがしら)・御徒頭(おかちがしら)・御目付(おめつけ)などを歴任しました。
また幕命によって関東各地で実施された川普請(河川工事)を監督。川普請は暮らしの安全に関わることですから、いかに孝盛が信頼と実績を積んでいたか、よくわかります。
その翌年には伊豆(静岡県伊豆半島)・相模(神奈川県)・安房(千葉県南部)・上総(千葉県中部)の各国を視察し、松平定信の案内を務めました。
まさに東奔西走の活躍ぶりで、更には御先鉄砲頭(おさきてっぽうがしら)や火付盗賊改方、槍奉行などを歴任します。
かくして文化9年(1812年)に75歳で致仕(引退)するまで、40年にわたって活躍しました。

