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【べらぼう外伝】松平定信に重用された火付盗賊改方・森山孝盛はなぜ「鬼平」長谷川平蔵を批判したのか?

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『寛政重脩諸家譜』の記述

●孝盛(たかもり)

熊五郎 源五郎 実は盛芳が二男、母は頼安が女、盛明が嗣となる。

明和八年三月二十六日家を継。 時に三十四歳采地三百廩米百俵 安永元年十二月二十二日はじめて浚明院殿に拝謁す。二年四月二十六日大番に列し、天明四年九月十四日小普請の組頭となり、寛政二年九月朔日御徒の頭に転じ、十一月二十七日布衣を着する事をゆるさる。三年五月十一日御目付にすゝみ、四年三月朔日仰をうけたまはりて関東川々の普請を監す。五年正月また仰をうけたまはりて、伊豆、相模、安房、上総等の浦々を巡視し、三月かさねて松平越中守定信に副て彼国々におもむく。六年三月十七日御先鉄砲の頭となる。七年五月二十一日より盗賊追捕の役をつとめ、八年六月二日これをゆるさる。十二月十日より若君に附属せられ、西城に候す。妻は石野傳右衛門廣貞が女、後妻は加賀美金右衛門遠貞が女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第568平氏(支流)森山 大竹

終わりに

今回は火付盗賊改方などとして活躍した森山孝盛について、その生涯をたどってきました。

恐らく優秀なカタブツで、平蔵のように型破りなタイプとは反りが合わなかったことでしょう。

松平定信に重用されたことから、寛政の改革において大河ドラマでも登場するかも知れませんね。

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第3輯』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 石川洋『江戸文人辞典』東京堂出版、1996年9月
  • 山本博文『旗本たちの昇進競争』角川ソフィア文庫、2007年5月
 

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