大河「べらぼう」殺された母子と壮絶な将軍の最期〜江戸を襲った洪水が引き起こす無念の死【前編】

高野晃彰

「もう、どこまで逃げても逃げ切れねえ気がする。いや、もはや逃げてはならぬ気もする、この場所から…」

殺された妻子を弔った土まんじゅうを前にした新之助(井之脇海)の言葉。目の前には、貧しくて墓石どころか卒塔婆すら立てらない亡くなった人々を埋めた、弔いの土まんじゅうが、数えきれないほど広がっていました。

天明6年(1786)7月の頃、関東一円を襲った大雨により利根川水系で派生した大洪水「天明の洪水」は、江戸の街に甚大な被害を及ぼし、理不尽な死も引き起こしたのでした。

べらぼう第31回「我が名は天」では、災害・社会不安・貧困の中で、何の罪もないふく(小野花梨)と赤ん坊の命が奪われ、巧妙な手段でおのれが「天」になろうとする一橋治済(生田斗真)に、将軍・徳川家治(眞島秀和)の命が奪われました。

『べらぼう』ふく・とよ坊の救いなき最期、家治は毒を盛られ力尽き…無情すぎる絶望回に反響

天明の洪水によって江戸市中が荒廃する中、蔦重(横浜流星)は深川の新之助(井之脇海)とふく(小野花梨)夫婦を見舞い、人々の苦境を改めて痛感させられました。いっぽう江戸城では徳川家治(眞島秀和)が…

生活苦に喘ぐ庶民たちと、陰謀うずまく政道の両方に大きな影響を与えることになる、「二つの無念の死」を考察してみました。

逃げ続けた生活に終止符を打てたかと思いきや

「もはや逃げてはならぬ気もする」と、何かを決意したように見える新之助。思い返せば、「逃げ続けてきた」人生でした。

初めての吉原で、気立てがよく愛らしい女郎・うつせみ(後のふく)に夢中になり、客と女郎の垣根を超え相思相愛の仲になるものの、しがない浪人ゆえ頻繁に吉原に通うことができない新之助。

うつせみは、変態客の相手をし自分の揚げ代を稼ぎ、新之助と逢瀬を重ねます。その事実を知り、新之助は無計画のままうつせみを吉原から逃がすものの失敗。

数年後、「俄祭り」の雑踏に紛れて吉原にやってきた新之助。再会した二人は手に手をとって吉原から逃げ、とある農村で暮らすことになりました。やっと幸せが訪れたかと思いきや、天明3年(1783)の浅間山の大噴火が起こります。二人が暮らす村も噴火の被害を受け、“江戸から来たよそ者”だからと追い出され、江戸の蔦重(横浜流星)を頼って逃げてきたのでした。

蔦重が二人に住まいと仕事を世話し、可愛い赤ん坊も授かり、ようやく逃げなくてもいい生活送れるようになった……と思いきや。小さな幸せは無惨にも破壊されてしまいました。

3ページ目 優しいふくの「困った時はお互い様」の心が悪を招く

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