大河「べらぼう」吉原遊郭での”芸者”の役割とは?遊女との違いはどこにあるのか?【前編】

高野晃彰

吉原遊郭を舞台にストーリーが進展する大河「べらぼう」

ドラマでは、花野井(小芝風花)誰袖(福原遥)などの遊女にスポットが当たりがちですが、吉原には遊女の他にもたくさんの芸者がいました。

本稿では、【前編】【後編】の2回に分けて、吉原遊郭を盛り上げた芸者についてお話をしたいと思います。

【前編】では、江戸芸者の概念と最初に誕生した深川芸者についてご紹介します。どうぞ最後までお付き合いください。

芸者は接待する側とされる側の間を取り持つ職業

遊女と芸者の違いは何かといえば、それは「春を売るか、売らないか」の違いです。
芸者の本業は、元来、舞台や宴席において芸を披露する、いわば職業的な芸人を指します。

江戸初期には、芸人のことを芸者と呼び、女性だけでなく男性の芸者も存在していました。この男性の芸者を「幇間(ほうかん)」、別名「太鼓持ち(たいこもち)」ともいいます。

ちなみに「幇」という漢字には「助ける」という意味があり、「間」は「間柄」や「場の間」を意味します。つまり、「幇間」という言葉は「人間関係を助ける者」という意味を持ち、接待する側とされる側の間を取り持つ役目を担う芸人ということだったのです。

しかし、時代が下るにつれて、芸者といえば専ら女性、すなわち「女芸者」を指すようになります。本稿では、こうした経緯をふまえ、女芸者についてお話しをしていきます。

4ページ目 深川芸者は江戸の粋を具現化した存在だった

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