暴力より議論を!幕末、“理解し合える”と信じた男・横井小楠。その「知られざる思想」の内容を解説:2ページ目
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時代は帝国主義へ
その後、小楠の政治思想はむしろ維新政府から評価されました。小楠自身も制度局判事・参与に任じられますが、1869年(明治2年)に攘夷派に暗殺されます。
小楠なき明治国家は、やがて日清戦争を契機に帝国主義へと転化していきました。
欧米の共和制を評価していた小楠は、一方で彼らが現実に行う植民地政策を「割拠見」(エゴイズム)と批判し、これに倣おうとする日本の開国論者を「勢力を張るだけのつもりなら必ず後日の災いを招く」と戒めていました。
小楠は、「宗教や民族を超越した普遍的存在(天帝)の下で、国々が我を捨てて互いに至誠惻怛(真心と慈しみ)の心を持ち認め合うことで平和が実現できる」と確信していました。
いまだ戦争が絶えない21世紀の私たちも、大いに学ぶところがあると言えるでしょう。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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