鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』は北条氏による歴史の捏造!?鎌倉時代の通説を覆す数々の学説:2ページ目
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武士と貴族の関係
また、鎌倉初期は武士と貴族が対立していたというイメージがありますが、必ずしもそうではありません。
武士たちは自らの勢力を維持拡大するために朝廷の官位を望み、頼朝は将軍の推挙を受けた武士に官位を与えることで全国の治安維持を担わせていました。
武士の側も朝廷の側もお互いにうまく利用し合うことで、幕府と朝廷はうまくバランスを取っていたのです。
それが崩れたのが1219年の実朝の暗殺です。実朝が頼家の子に殺されたことで朝幕関係は不安定にり、承久の乱のきっかけになりました。
この乱では、北条政子による東国の御家人の説得が成功して上皇側を破り、後鳥羽ら3人の上皇が配流されたことで幕府の権力が強まりました。
こうしたきっかけがあって朝廷の勢力は低下したのであり、最初から武士と貴族が対立していたわけではなかったのです。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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