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波乱と苦難…なんと10年もの過酷なサバイバル生活!江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯【後編】

波乱と苦難…なんと10年もの過酷なサバイバル生活!江戸時代の漂流民・大黒屋光太夫の生涯【後編】:2ページ目

ラックスマンとの出会い

光太夫が紹介されたキリル・ラックスマンは、高名な博物学者として、政府高官ばかりか女帝エカチェリーナ2世とも知遇を得た人物でした。彼は光太夫らの話を親身になって聞いてくれた上、衣食住を支援してくれる事になりました。日本人学校への仕官を断ったために、ロシアからの補助金を打ち切られて窮した光太夫らは、金銭面でもラックスマンの支援を受けつつ、更にラックスマンの手で3度目の帰国願いを提出してもらったのでした。

しかし待てど暮らせどその帰国願いの返信はなく、このままでは拉致があかないと考えたラックスマンは、自身がエカチェリーナ2世に拝謁する場に光太夫を連れて行き、直接帰国を嘆願する事を提案します。

女帝エカチェリーナ2世に拝謁

ようやく一筋の希望が見えてきた寛政3年(1791)正月明け、生き残った仲間の中では一番年上だった九右衛門が病死。悲しみを堪えて、光太夫はラックスマンに伴われてペテルブルクに向け出発します。

途中、ラックスマンの大病で思ったように旅程が進まず、5月にようやく女帝の居る避暑地ツァールスコエ・セロの宮殿に到着。そして運命の6月28日、ついに光太夫は女帝エカチェリーナ2世に拝謁したのです。

ツァールスコエ・セロの宮殿 Wikipediaより

「可哀想に…」。

これがエカチェリーナ2世が光太夫の話を聞いて初めに発した言葉でした。彼女は光太夫の漂流話に深い同情と興味を示し、決められていた時間を大幅に超えても質問を続け、8年間の出来事を詳らかに話させました。そして後日、今まで帰国嘆願を握り潰していた官人を探し出して罰したのでした。

エカチェリーナ2世は7月の下旬にもう一度光太夫を招き、彼の口から更に詳しく漂流話を聞きました。光太夫は求められるままに仔細を話したほか、この機を逃すまいと、帰国の意思を精一杯主張しました。果たして彼らの帰国は許されるのでしょうか…?

3ページ目 ついに帰国へ

 

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