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鬼平・長谷川平蔵が務めた江戸時代の特別警察「火付盗賊改」実は意外と権限が弱かった?

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実は権限が弱かった

さて、町奉行が江戸幕府の最高執政職の老中の管轄であるのに対して、火盗改を管轄するのは老中に次ぐ若年寄です。

『鬼平犯科帳』で、平蔵が武士や僧侶の犯罪に苦慮するシーンがありますが、火盗改が逮捕できる者は「宗門人別改帳」から外された「無宿」や百姓・町人に限定されました。

また彼らが取り締まる犯罪は放火と強盗をメインとして、これに準じるゆすり(恐喝・脅迫)、かたり(詐欺)、ねだり(いいがかり)、博打に限られていました。

そのため、犯罪者が武士の場合や殺人などを犯した凶悪犯の場合は、原則として管轄によって町奉行・寺社奉行・勘定奉行の三奉行のいずれかに引き渡すことになっていました。

また町奉行は刑の仕置(執行)の手限権(決定権)を有していましたが、火盗改は原則的に仕置の手限権はなく、罰金(過料)などの軽い刑を課す場合にも必ず老中に仕置伺いを提出しなくてはなりませんでした。火付盗賊改は、意外と権限が弱かったのです。

その後、幕末の文久3年(1863年)には火盗改の手限権も拡大され、入墨刑以下の軽い刑については仕置が認められるようになりました。

『鬼平犯科帳』では、平蔵が上級武士の犯罪の対処に苦慮したり、北町奉行が平蔵たちの手柄に嫉妬するシーンがありますね。

これは火盗改が百姓や町人を対象としており、町奉行よりも手限権が弱い役職だったからです。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新
画像:photoAC,Wikipedia

 

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