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日本が世界に誇る「崩れない石垣」に秘められた建築技術!戦国時代の城はプロによって支えられていた

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崩れない石垣のヒミツ

ところで、彼らの築いた城の石垣は、なぜああも「崩れない」のでしょうか。

城の石垣は、単純に石を積み重ねているわけではありません。どのも美しい曲線を描いていますが、そうした曲線は地震でも石垣が崩れないように綿密に計算されたものなのです。

実際、石を単純に積んだだけだと、地震が起きた際に石垣は上の方から簡単に崩れてしまいます。

ところが石をズラして曲線状に積み重ねると、石垣にかかる力は石垣の内側と下方に分散します。

しかも一番下の土台は、粘土を敷いた上に根石を並べてあります。このように土台を柔構造にして弾力性をもたせると、上からのエネルギーが吸収されるのです。

そういう工夫によって、地震で石垣全体が揺れても、崩れないようになっているのです。

世界建築史上の傑作

地震で石垣が揺れた場合、最も大きな力が加わるのは下の四隅です。

そのため、四隅の石は長方形の石を密着させる算木積みという技法が用いられており、精密に組み上げられています。

さらにその上にヤグラを載せて押さえるので、四隅はなお崩れにくくなるわけです。

お城の四隅にヤグラが載せてあるのは単に物見のためだけではなく、そこに重量をかけるためなのです。

逆に言えば、四隅のヤグラや天守を取り除いてしまうと石垣はもろくなる理屈です。実際、小田原城は大震災のときに天守閣がなかったため、石垣が壊れてしまいました。

日本の城の石垣は、高度な力学と建築技術を組み合わせた世界建築史上の傑作の一つといえるでしょう。

戦国大名たちは、こうした専門技術を持つスペシャリストたちの価値をよく理解していました。

だから彼らは製材職人や大工などに免税の特典を与え、築城はもちろん、戦場での遮蔽物の構築などにも従事させていたのです。

この他にも、左官や鍛冶、家具装飾を担当する細工師、障壁画を担当する絵師、さらに瓦師などの技能集団も築城に参加していました。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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