藤原道長の娘なのに「たゞ人(ただの人)」と結婚させられた五女・尊子の生涯をたどる【光る君へ】

藤原道長には知られている限りで13人の子供がいました。

うち正室の源倫子が6人、側室の源明子が6人、そして側室の源重光女が1人を産んでいます。

源明子は男児4人と女児2人を産んでいますが、正室の子らに比べて低く扱われていました。

今回は源明子が産んだ道長の五女・藤原尊子(そんし/たかこ)を紹介。果たして彼女はどんな女性で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

※道長の兄・藤原道兼の娘である藤原尊子とは同姓同名の他人です。

元皇族の源師房と結婚

藤原尊子は長保5年(1003年)ごろ、明子の次女・第五子として誕生しました。同母兄弟は以下の通りです。

長兄・藤原頼宗(道長次男)
次兄・藤原顕信(道長三男)
三兄・藤原能信(道長四男)
姉・藤原寛子(道長四女)
本人・藤原尊子(道長五女)
弟・藤原長家(道長六男)

元の名を藤原隆子(りゅうし/たかこ)と言いましたが、異母長兄である藤原頼通(道長長男)の正室・隆姫女王(具平親王女)との名前かぶりを遠慮して改名したと言います。

5歳となった寛弘4年(1007年)4月27日、弟の長家と共に着袴(ちゃっこ。袴を着る)の儀式を行いました。現代でいう七五三感覚でしょうか。

長和2年(1013年)9月16日に11歳で従四位下(じゅしいのげ)に叙されました。

13歳の長和4年(1015年)9月20日に従三位(じゅさんみ)へ昇進、15歳となった寛仁元年(1017年)4月26日に長家と共に成人の儀式を行います。

男児は元服、女児は着裳(もぎ)を行いました。

そして万寿元年(1024年)3月27日、22歳となった尊子は元皇族の源師房(もろふさ)と結婚します。

隆子から尊子に改名したのはこの時だそうです。源師房は隆姫女王の弟で、頼通の猶子となっていました。なので道長にとっては義理の孫と言えるでしょう。

2ページ目 姉妹で唯一「たゞ人」と結婚 〜 幸せな家庭を築く

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