父を傷つけまいと痛みに耐え忍ぶ…平安時代の武人・公助の親孝行エピソード【光る君へ 外伝】

古今東西、親孝行は尊いものです。

ただ一口に親孝行と言ってもその形は様々で、分かりやすいものから分かりにくいものまで、様々な美談が伝わっています。

今回は菊池容斎『前賢故実』より、公助(きみすけ/きんすけ)のエピソードを紹介。果たして彼は、どんな親孝行をしたのでしょうか。

『前賢故実』原文

公助。   一條帝朝。摂政兼家之随身武則子也。右近馬場賭射。公助射不如人。父武則自傍視之。大怒撻公助於衆人中。公助伏而受其杖。武則怒解而去。人曰。子何不逃。公助曰。父老而性急。我走必追。若有顛躓■傷。是重吾罪也。是以不避。聞者感動。

※『前賢故実』巻之五(下毛野公助)

『前賢故実』読み

※読み方は複数パターンあり、絶対ではありません。

公助は一条帝の朝(みよ)にて摂政兼家に随身(ずいじん)せし武則が子なり。

右近馬場(うこんのばば)にて賭射(のりい)す。公助の射は人の如くならず。

父武則傍ら自(よ)りこれを視(み)ゆ。大いに怒り衆人中において公助を撻(むちう)つ。

公助は伏してその杖を受く。武則の怒り解けて去る。人の曰く「子(し。あなた)何ぞ逃げざりき」と。

公助曰く「父の老いて性急なれば、我走らば必ず追えり。若し顛躓(てんしつ)にて傷せなば、これ重き我が罪なり。これをもって避けざりき」と。聞く者の感動す。

3ページ目 『前賢故実』意訳

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了