小説執筆を許されるも無断欠勤!?シングルマザー「紫式部」、子育てと仕事の両立に悩む。

歴史 好き太郎

紫式部、就職する

大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、結婚後わずか数年で夫を亡くしシングルマザーとなった彼女は、寛弘2(1005)年、あるいはその翌年の12月2日に宮仕えを始めました。

藤原道長の長女で一条天皇の中宮であった彰子の女房として、宮中に住み込みで仕えることになったのです。

紫式部が仕えた一条天皇の中宮、12歳で天皇に入内した平安時代のプリンセス 藤原彰子

意外と人物像は知られていない?平安時代のプリンセス 藤原彰子中宮・彰子(しょうし・あきこ)は、清少納言の仕えた皇后・定子亡き後、一条天皇の唯一の正妃となった女性です。藤原道長の長女で、『源氏物語』…

永延2(988)年に生まれ、長保元(999)年にわずか12歳で入内(天皇の后として宮中に入ること)した彰子は、寛弘2年の時点で16歳。その女房となった紫式部は、おそらく30歳くらいだったと推測されています。

女房の仕事は、衣食住にかかわる身の回りの世話、訪問者と主との取次などがありますが、 式部の場合は彰子に漢詩の手ほどきをするなどの教育係としての役割が与えられたようです。

歴史学者の倉本一宏氏は、著書『紫式部と藤原道長』の中で、「紫式部は中宮付きの教養面での世話係を務めながら、『源氏物語』の続きを執筆することを望まれていたのであろう」と述べています。

彰子の父は藤原道長であり、彼は紫式部の実質的な雇い主でもありました。彼は紫式部を一般的な女房としてではなく、我が子に高い教養を授ける教育係として、そして『源氏物語』を書き上げる作家としてスカウトしたということです。

そして「道長の目的は、この物語を一条天皇に見せること、そしてそれを彰子への寵愛につなげるつもりであったことは、言うまでもなかろう」と断言しています。

3ページ目 宮仕えの憂鬱

次のページ

シェアする

モバイルバージョンを終了