……「朕(われ)をばはかるなりけり」とてこそ泣かせ給ひけれ。哀に悲しきことなりな。日頃よく御弟子にて候はむと契りて、すかし申し給ひけむがおそろしさよ。……
※『大鏡』六十五代 花山院天皇
「朕をたばかりおったな!」
泣いて責めても後の祭り。藤原道兼(玉置玲央)にまんまと騙され、頭を丸めた花山天皇(本郷奏多)は、わずか2年で帝位を退くこととなったのでした。
同じころ、まひろ(紫式部/吉高由里子)は藤原道長(柄本佑)に駆け落ちするよう誘われたものの、これを拒絶します。
「私とひっそり幸せになっても、世が変わる訳じゃない」
「あなたが好きだけど、あなたにはこの国を変える使命がある」
果たして藤原兼家(段田安則)らによるクーデター(寛和の変)が成功。剣璽を受け継いだ懐仁親王(一条天皇)が皇位継承を果たしました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」、いよいよ藤原右大臣家の天下が到来しますね。
それでは第10回放送「月夜の陰謀」今週も気になるあれこれを振り返っていきましょう!
時申(ときもうし)とは何?
兼家「時申の時を告げる声を合図に内裏のすべての門を閉じる」
平安時代、時刻を告げる時申、あるいは時奏(ときのそう)という役職があったと言います。
……時奏する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり来て、弦うち鳴らしてなむ、「何の某、刻丑三つ、子四つ」など、はるかなる声に言ひて……
※清少納言『枕草子』
【意訳】時を奏する(告げる)様子は、とても趣き深いものだ。とても寒い夜中にゴソゴソと靴をすり歩きながら、弓の弦を鳴らしながら「何のナニガシが、丑三刻(うしみつどき)をお知らせします!」などと上げた声が遠くから聞こえ……。
昔の時刻は一日を十二支でわり、一刻あたりおよそ2時間で示しました。
なので劇中に触れられていた丑刻(うしのこく)から寅刻(とらのこく)まではおよそ2時間。現代の感覚では、深夜2:00ごろから夜明け前の4:00ごろとなります。
ちなみに時間を計るのは漏刻(ろうこく)と呼ばれた水時計。水の滴る量で時間を計っていました。これなら天気の悪い日や夜中でも、おおむね正確な時間が分かりますね。
ちなみに日本で初めて漏刻が導入されたのは天智天皇10年(672年)4月25日。太陽暦に直すと6月10日なので、現代では毎年6月10日を「時の記念日」としているそうです。