17歳で皇位に就き、様々な政治改革に乗り出した花山天皇(師貞親王)。
しかし最愛の女御・藤原忯子(しし/よしこ)を喪ったショックで出家・引退してしまいます。
ところで花山天皇には他にも女御たちがいました。彼女たちは一体どんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
そこで今回は花山天皇の女御たちを紹介。NHK大河ドラマ「光る君へ」には登場するのでしょうか。
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花山天皇の女御・婉子女王
天禄3年(972年)生~長徳4年(998年)9月17日没
婉子女王(えんし/つやこじょおう)は為平親王と源高明女の間に誕生しました。
村上天皇の孫娘に当たり、おばに源明子(めいし/あきらけいこ。藤原道長の側室)がいます。
寛和元年(985年)に入内。最初は花山天皇から寵愛されたものの、すぐ飽きられてしまったようです。
彼女自身に何かあったのか、あるいは藤原忯子以外は目に入らなくなってしまったのかも知れません。
しかし藤原忯子が亡くなると再びお召しがかかったものの、病んでいたためこれを辞退しました。
本当に病んでいたのか、あるいは病とは口実で、内心ヘソを曲げていたのか、どちらでしょうか。
「あれだけぞんざいに扱っておいて、お気に入りが亡くなったから戻って来いなんて、そんな虫のよい話があるものですか!」
やがて寛和2年(986年)に花山天皇が出家すると、離婚して藤原実資に嫁いだのでした。
もし本当に病であれば再婚どころではなかったでしょうし、やはり怒っていたのかも知れませんね。
そして長徳4年(998年)9月17日、27歳で世を去ります。