元は公家出身のヤンチャ小僧!最後の元老・西園寺公望はどのような政治家だったのか?【前編】

軍歴もある公家!?

西園寺公望(さいおんじ・きんもち)明治時代から昭和にかけて活躍した超・大物政治家の一人で、総理大臣も務めています。総理大臣としては珍しい公家の出身ですが、戊辰戦争に参加した「軍人」としての経歴もある人物です。

生まれは日本の清華家の一つである徳大寺家で、さらに二歳の時に、同じ清華家である西園寺家の養子となり、さらにその後西園寺家の家督を相続しています。明治天皇よりも三つ年上で、幼い頃は明治天皇の遊び相手などもしていたとか。

彼が歴史の表舞台に初めて登場したのは、戊辰戦争の時です。山陰道鎮撫総督、東山道第二軍総督、北陸道鎮撫総督、会津征討越後口大参謀として各地を転戦し、特に会津戦争では自ら鉄砲を撃ち、銃弾の飛び交う最前線にいたと言われています。

鳥羽伏見の戦いでは、少年ながら積極的に旧幕府軍と戦うことを主張することも。このように、「貴族出身のお坊ちゃん」というイメージには収まらない勇壮さも備えた人柄で、19歳の時には新潟府知事にも任じられました。

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